近年、企業における人権尊重は、倫理的課題としてはもちろんですが、経営戦略としても、企業価値向上のための必須要件となっています。その背景には、国際社会における規制強化や投資家の期待の高まりがあります。例えばEUでは企業に対する人権デューデリジェンス(人権DD)義務化が進み、サプライチェーン全体にわたる人権リスクの把握と対応が求められています。日本企業の一部もこの規制の対象となる見通しです。
日本国内でも「ビジネスと人権に関する行動計画(NAP)」の策定を契機に、経済産業省などが国際基準に沿ったガイドラインを公表しました。こうした動きは、企業にとって「待ったなし」の課題です。人権尊重は、CSRやサステナビリティの一環にとどまらず、投資家や顧客からの信頼を維持し、事業継続性を確保するための重要な要素となっています。
エネルギー業界の特性と顕著な人権リスク
土地取得による住民移転
- 大規模開発による生活基盤の喪失
- 先住民族の権利侵害
建設段階の労働問題
- 長時間労働
- 安全衛生管理不足
- 下請け搾取
- 海外の労災リスク
再エネ拡大に伴う人権課題
- 鉱物採決での児童労働
- 再エネ用地と居住地の衝突
- 気候変動によるインフラ破壊
ジャスト・トランジション
- 高炭素産業での雇用喪失
- 産業構造の変化による地域社会への影響
最も顕著な人権リスクの一つは、土地取得に伴う地域住民への影響です。大規模ダム建設や送電線ルート設定では、住民が土地を追われ、生活基盤を失う事例が後を絶ちません。こうした強制移転は、国際人権基準では深刻な人権侵害と見なされ、企業の評判や事業継続に深刻な影響を及ぼします。
次に、建設段階における労働問題が挙げられます。エネルギーインフラの建設は、多数の協力会社や下請け労働者を巻き込みますが、過酷な労働環境や搾取のリスクが高まります。長時間労働、安全管理の不備、中間搾取などが典型的な課題であり、労働安全衛生の欠如から重大事故が発生すれば、労働者の生命だけでなく地域社会にも影響が及びます。特に海外プロジェクトでは、現地の労働基準が不十分な場合、労災や人権侵害が起きやすい点に注意が必要です。
さらに、再生可能エネルギーの拡大に伴い、新たなリスクも浮上しています。風力タービンや太陽光パネルの製造に必要な鉱物資源(リチウム、コバルトなど)の採掘過程では、児童労働や強制労働が発生するリスクが高いことが国際的に指摘されています。また、広大な土地を必要とする再生可能エネルギー施設は、農地や森林、先住民族の居住地と競合し、土地利用の衝突を引き起こします。加えて、気候変動による極端気象や洪水はインフラを破壊し、地域社会の権利に直接影響します。脱炭素化の圧力が急速に高まる中、グリーン目標達成を急ぐあまり、土地収用や労働環境への配慮が後回しになるケースも懸念されています。
ジャスト・トランジションとは
ジャスト・トランジション(公正な移行)とは、環境問題の解決や脱炭素化を進める際に、関係する産業分野の労働者や地域社会が取り残されることなく、公正かつ平等な方法で持続可能な社会へ移行することを目指す考え方です。エネルギー転換や産業構造の変化は、経済や地域社会に大きな影響を与えるため、単に技術的な移行を進めるだけでは不十分です。社会全体で負担を公平に分担し、誰一人取り残さない移行を実現することが求められています。
この概念の目的は、脱炭素社会への移行を持続可能な地球環境と公正な社会の両立という視点で進めることにあります。対象となるのは、火力発電所や炭鉱など高炭素産業で働く労働者や地域社会、そして気候変動や産業転換の影響を受けやすい人々です。こうした人々が移行の過程で不利益を被らないよう、包括的な対策が必要です。
具体的な取り組みとしては、労働力の移行と社会全体の再設計が挙げられます。労働力の移行では、高炭素産業の労働者に対する再教育やスキル転換、発電所撤退後の地域経済再構築が重要です。一方、社会全体の再設計では、再生可能エネルギーへの転換や分散型エネルギーシステムの導入、ジェンダー平等の推進、地域社会や住民の参画、さらにはグローバルサプライチェーンの透明化などが求められます。
ジャスト・トランジションは、単なる環境政策ではなく、社会的公正を実現するための包括的なアプローチです。企業や政府は、この視点を取り入れることで、脱炭素化の過程で生じる格差や不平等を防ぎ、持続可能な未来を築くことができます。
エネルギー業界の企業が取り組むべき対策のポイント
土地取得の公平性確保
- FPIC(自由で事前の十分な説明に基づく合意)の遵守
- 代替地や補償を含む公正な協議
- 先住民族の脆弱性への配慮
労働環境の改善
- 長時間労働の是正
- 安全装備の支給
- 適切な休憩と報酬の保証
- 下請け企業を含む良好な労働環境の徹底
治安維持における人権配慮
- 警備員に対する人権研修を実施
- 過剰な実力行使の防止
- 懸念のある治安部隊の活用を回避
サプライチェーン管理
- 鉱物資源調達における児童労働や強制労働リスクを排除するために、専門機関からリスク情報を収集
- サプライチェーンの下流に対するデュー・ディリジェンスの実施
ジャスト・トランジションの推進
- 労働者の再教育・スキル転換
- 地域経済の再構築を支援
- 再生可能エネルギーへの転換
- 分散型エネルギーシステム
- ジェンダー不平等の是正
こうした複雑な人権リスクに対応するため、企業は国際基準に沿った包括的なアプローチを取る必要があります。土地収用に際しては、住民との有意義な協議と合意形成が不可欠です。特に、大規模開発ではFPIC(自由で事前の十分な説明に基づく合意)の原則を遵守し、強制的な立ち退きを避けることが求められます。代替地や補償を含めた公正なプロセスを構築し、住民の生活再建を支援することが重要です。
労働者に対しては、労務管理と安全衛生の徹底が不可欠です。長時間労働の是正、安全装備の支給、適切な休憩と報酬の保証、下請企業を含む労働環境のモニタリングなど、包括的な体制整備が求められます。また、関連施設や従業員の保護を現地の治安部隊や警備会社に依頼する場合、過剰な実力行使や地域住民との摩擦を防ぐため、警備員への人権研修や適切な手続きの確立が推奨されます。また、国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルなどの国別報告書から、これまでその国の治安部隊による人権侵害が発生していないか、事前に確認しておくことも対策として有効です。
さらに、再生可能エネルギー設備に必要な鉱物資源の調達においては、児童労働や強制労働のリスクを排除するため、サプライヤー監査の活用が重要です。こうした取り組みは、単なるリスク回避にとどまらず、企業価値の向上や持続可能な成長に直結します。
当社の研修サービスでは、エネルギー業界の課題に即した実践的プログラムを提供しています。顧客企業が実際に計画しているプロジェクトを題材に、地域住民に及ぶ可能性のある人権リスクや、大規模下請け労働者のリスクまで、ケーススタディを交えて実践的に学ぶ研修です。
実際に、当社には大手電力会社への研修の実績があり、現場作業員の安全管理や、地域住民との合意形成について、国際基準を組み込んだプログラムを提供しました。こうした研修を通じて、国際基準に準拠した人権配慮の知識とスキルを自社のプロジェクトに活かすことが可能です。
上記に挙げた他にも、エネルギー業界における人権リスクは多岐にわたります。対応を強化したい企業のみなさまは、当社までお気軽にお問い合わせください。貴社の状況に応じた研修プログラムをご提案いたします。